仕事が終わらない
いつもそう思っていた筆者に、「終わったら用済みになっちゃうじゃないですか!」と爽やかに教えてくれた同僚がいました。
その時は「確かに!」と思ったんですが、よく考えると本質的に答えになってないですよね。その時はこの多忙を緩和してくれと言っているわけで、無にしてくれなんて言ってないわけですから。
というわけで、こんにちは。
却説。
まぁ仕事は終わらないわけです。そりゃそうですよね。会社も無駄飯を食べさせるわけにはいかないのです。給料分、あるいは相対的にガンガン働かせて元を取るという事を考えるのは、ある意味理にかなっています。
ゲームで効率を求めると、どうしてもパターンとか決まってくると思うんですが、それと同じです。成功する可能性を追求しているわけですね。
そうするとどうなるか。
自明ですが、仕事に偏りが出てくるわけです。
これはね。危ないですよ。危険サインです。がんばっていいレスポンスをしていると、自然と仕事は偏ってきます。
どこに? もちろんあなたに偏ってくるんです。
これを避ける方法はあるんですが、なかなか難しい。
避ける方法は一つ「期待を裏切る」しかないですね。
難しい理由はいくつもあります。日本の教育制度だといわゆる「いい子」であることを求められているわけで、我々はいい答えを出すように躾られているんですね。この習性に逆らうのはなかなか実は困難だったりします。
がっかりレスポンスを見た上司のあからさまに落胆した表情とため息を聞くにつけ、なんとなくいけない事をした気になるのですが、そこをぐっと我慢する胆力が試されているといってもいいでしょう。
まぁわざわざがっかりレスポンスをする必要もないんですけどね。
普通にやったら、上司はがっかりするものです。がっかりさせとけばいいんですよ。常にいい結果を追求すると、タイトル通りになります。
ともあれ。今日はそんな話なんですが、しかし、それにつけても、こんな生産性に唾を吐きかけて、資本主義の仕組みの基幹たる会社組織に憎悪をまき散らす、この反社会的ブログにも、本当になぜか読者っているんですね。
Hatenaブログだと「読者になる」なんて仕組みがあるようですが、さすがに正面切って読者になってくれる人はいないんですが、記事をアップすると、少しだけ読まれていることがわかる訳です。
どうやってたどり着いているかは果たして謎なんですけども。
なんとなく最近はもう少しいい事書いたりしたほうがとか、読む人もいるわけだし少しいい話でもとか考えちゃうんですが、本質的に筆者はダメな人なので、このまま「王様の耳はロバの耳」の穴のようなブログで行こうと思ってます。
ほんと、申し訳ない。
マネジメントなんて見たことがない
見ないですねー。ついぞ見ない。
見たことがある人いるでしょうか? こんにちは。
さてはて。
ブラックブラックとブラック企業が花盛りなわが国ではありますが。及ばずながら弊社もだいぶグレーな感じですね。
今日もだいぶグレーな応答があり、心の中がどす黒く染まっていくのがわかります。相手は上司。指示を出す役割なので、それはそれでいいんですが、そこでいつも思うのは、上司は果たして業量というものがわかっているのかということです。
まぁわかってないんでしょうね。
追加に更に追加されるタスク。「簡単でしょ」と言って渡されるタスク。
簡単であったことがない。
大抵は「期待の表れ」とか「君ならできる」とかいうよくわからないコメントを添えて出される指示ばかりです。
きっと日本中でそうなんでしょう。なぜならば所詮上司は他人なので、その個人の業量なんて推して図るしかないし、推して図るなんて、まぁ天気予報と同じですよ。当たるも八卦当たらぬも八卦というわけで。
上司は上司の上役を忖度して部下の尻を叩く。
これが上司の唯一のルールであるといっても過言ではありません。
怒られちゃいそうだなと思ったら、そうならないように人を叩いておくんです。そうすれば、「〇〇に任せたんですが、奴には荷が重そうです」となんとなく責任転嫁できます。
命じたのは当の上司なんですが、そこは問われない。なぜか。その上司をその役職に就けたのがその上司の上司だからです(ややこしい)。
上司だって人間ですから、怒られたくないんです。怒られないで平和な一日を過ごすために、下僕達を叩きまる来るわけです。
結果は、長時間の残業だったり、鬱だったり、自殺だったりと。そんなわけです。
まぁ例えば部下が死んでも、その上司は自分が悪いと思ったりしませんけどね。そう思わせたかったら死に際にその上司の手元に届くように名指しするべきです。
そこまでしてもまだ、逆恨みだなんだと都合のいい事を言って、忘れようとするのが人間です。
お分かりかと思いますが、筆者は人間をそこまで評価していません。そしてそれで期待を裏切られた事がないです。つまり「期待しない事をいい意味で裏切られた事」がない。
だから自衛はしたいなぁといつも考えています。大事ですよ。自衛。他人なんて信じるに値しないんだから。
さて、暗澹たる月曜日にふさわしい話題を振っておきました。
今週も弊社は修羅の国みたいな様になるでしょう。
早く引退したいという思いだけが募る訳です。
仕事をしていても幸せになれない
これが今日一生懸命Google先生にお伺いを立てていた、いい年のおっさんの質問です。切ない。
こんにちは。
しかし、こういう質問には大抵リクナビとかの転職サイトへ巧妙に誘導する記事が上がってくるのですが、しかし、あれはプロの仕業ですね。まぁプロがやってんでしょうけども。こんな冴えないおっさんの怨嗟さえも、資本主義の巧妙な仕組みの中に組み込まれているわけです。
そもそも「全くなので、仕事をやめよう」とか、「上司がムカつく? バールのようなもので、脳天をかっ飛ばせ!」といった記事が少なすぎじゃないですかね。中途半端に「やっぱり充実を求めて働くべき」とかいう記事ばかりで、噴飯ものです。
仕事をしていないと人生が充実しない。
よく言われる言説ですが、筆者は全く同意しません。あほかと。そんなものより充実できるものは腐るほどあるでしょう。
自由に食って、寝て、遊んで初めて人間は幸せになれるんです。
ごまかすんじゃないよと。誰が巧妙に仕事を混ぜた。
ちょっと真面目な話でもないですが、この当たりを決めるキーワードは“自己決定”だと思っています。会社にいれば自分で決定できることが少なかったりします。そういう事が幸せを無くしていきます。自由なブラック企業なんてないじゃないですか。つまり真実は自分で自分の事を決定できる権限が幸せの正体というわけです。
お金=幸せという図式もありますが、正確には「お金で決定できる自己権限=幸せ」という風に言い換えることができます。フリーランサーが辛いという話の正体は、仕事による収入が少なくて、人生の自己決定権が狭まって辛いという意味で、そうなるとやりたくもない仕事に手を付けたりするわけです。そりゃ辛いでしょう。
そんなの謳歌している人はいないという声も聞こえてきそうですが、そうですね。
ハメハメハ大王くらいですかね。
ハメハメハ大王ってまだ大丈夫ですかね? 死語でしょうか?
卑猥なものではないですよ。南の自由な王様の事です。
雨が降ったら、そう。今日はお休みです。
力尽きて風邪をひいて
木曜日の夜にはちょっと既におかしかったんですが、金曜日の朝にはきっちり風邪をひいていました。
こんにちは。
どうも最近は体力が持たないことが多く、定期的に風邪をひきますね。
無理が続くと結構な頻度で風邪をひいて、‟会社は休めないから”取り合える苦しい体を引きずって社に向かう社畜生活。
あえて、括っているのは自分でも休めないのは意外と気のせいなんだろうなと感じているからです。
だって、本当に悪かったら休まざるを得ないし、死んでも会社に行くなんて馬鹿げているのはどこの誰でもわかっているからです。
今回は医者にも行かず、ひたすら睡眠をとって熱を下げていました。
そういえば、こんだけまとめて寝たのも久しぶりである。
なんか休みが体調回復のための静養に消化されるって、甚だ不満です。
無念。
賃金奴隷とはよく言ったものだ
やっぱり仕事始まっただけあって、実に仕事したくないですね(爽やかに)。
こんにちは。
毎日思っているんですが、仕事ってのは体に悪いなぁと。仕事しているとどうも調子が悪い。別にすごい長生きしたいわけじゃないけれど、人間の寿命を縮めているのは間違いなく仕事だよなぁと思います。労働がなければ人間はもうちょっと長生きなんじゃないでしょうか。
聞いた話じゃ社長とかは一般の労働者に比べると寿命が長いみたいですよ。
資金繰りをはじめ起業家の苦労は聞いたりしますが、それよりも上司からの抑圧の方が体に悪いわけですよ。
だって会社が破綻しても結局自己破産とかでチャラになるだけなんでしょうが、今どきは上司の命令からは、よっぽど苦労しないと解放されないですからね。賃金奴隷とはよく言ったものです。
さて明日は静かに過ごせるかと思ったら、尻ぬぐいを命じられました。なんてこった。まぁドブ浚いも下級中間管理職の職務の一環でしょうかね。
死にたくなりますが、いつもの事といえばいつもの事で。
思うんですが、ベーシックインカムとかいうじゃないですか。あれはいいなと。働きたい意欲のある方はより高みを目指していただいて、やりたい奴だけで働くということでいかがか。だって意欲がある方が仕事の効率もいいというわけでしょう?
2:8の法則とかで、結局できる組とできない組に分かれるんでしょうけども、少なくともすべてやる気のある人で埋め尽くされている会社・・・。
なんかすごそうですね。昭和ヒトケタのサラリーマンっぽい物を想像した。
他方、働きたくないけれど、人を繋ぐコミュニティに寄与する活動はしたいとか、賃金的な事はともかく社会を面白くしたいからアートや漫画を描くぜとか、そういう事が選択肢になるのは、社会を面白くしませんかね。
昔から言う「それでどうやって食べていくの?」という議論ってなんかもう古いものにできないかと思ったりします。
もちろん金というモチベーションがそういう活動のモチベーションになるのは間違いないんだろうけれど、でも入り口のハードルになるのはどうなんだろう。
日本がいまいち面白味の無い国なのはそういうとこじゃないですかね?
休みはやはり良いものだ
良いものですよね。
しみじみ感じるのはこのブログを更新する気が起きなかった。
これは平日のストレスが更新の原動力になっているからだろうと思います。思うというかそのものです。
だから、会社辞めたらこのブログも同時に閉鎖ですな。
続ける理由がない。
ただ、ふと思うのは会社=仕事なんですが、仕事だけになったらやっぱりストレッサーは働くんですかね。きっと今と違う角度で働くのかな。
フリーってのも中々辛そうですものね。
理想は一切の労働の排斥なんですが、そんなのもう死ぬしかないんじゃなかろうか。
べたですが、南の島でゆったりと暇を囲うのは、どうやら理想論ということなんでしょう。うーん、休みの日に夢がない事限りないな。
まぁどうでもいい。あと24時間以上は仕事とは無縁である。
まさに砂金の重さに等しい時間ですな。
中間管理職の陰鬱な木曜日
タイトルに別に大した意味はありません。語感がよかった。
というわけで、中間管理職です。下級中間管理職といった方が正確やもしれませんね。
会議なんか催してみたりして、人を集めていろいろと管理っぽい事をしているわけですが、まぁなにしろ性に合わない。
これまでどことなく「そうかなー」「そういうタイプなんじゃないかなぁ」と思っていた通り、向いていない。
気が付いていたらなっていたので、今回は「お前が志願したんだろう」という中傷はなしにしていただきましょう。何せ気が付いたら推薦されていたのだ。
さして給与は増えず、仕事は三倍増というこの世の不幸をなぜ受けたのか。全く疑問ではあります。同じような立場の人がいたら、共感してもらえそうではあるシチュエーションではある。
さて、主催の会議が多い陰鬱な木曜日も終わりました。
明日は素敵な金曜日で、できたら休みたいものでしたが、定時の仕事をぶち込まれているので、少なくとも今年中は金曜は病気にでもならないと休めません。
ここまで書いて気が付いた。そうか仮病を使えばいいのか。
定時の仕事など、一回休んだくらいでどうにかなるなら、もうそんな仕事は終わっているも同然なのだから。